以下は、白居易の詩《悲哉行》の原文と、それに対するオリジナリティーに富む賞析です。
《悲哉行》
悲哉為儒者、力学不知疲。
讀書眼欲暗、秉筆手生胝。
十上方一第、成名常苦遅。
縦有宦達者、両鬢已成絲。
可怜少壮日、適在貧賤時。
丈夫老且病、焉用富貴為。
沉沉朱門宅、中有乳臭兒。
状貌如婦人、光明膏粱肌。
手不把書卷、身不擐戎衣。
二十襲封爵、門承勲戚資。
春來日日出、服御何軽肥。
朝從博徒飲、暮有倡樓期。
平封還酒債、堆金選蛾眉。
聲色狗馬外、其餘一無知。
山苗与澗松、地勢随高卑。
古來無奈何、非君獨傷悲。
賞析
白居易の《悲哉行》は、儒者の悲哀を描いた作品である。この詩は、儒者の苦学とその成果の得難さ、そして社会的地位と富貴との関係を深く掘り下げ、当時の社会現実と儒者の無奈を浮き彫りにしている。
「悲哉為儒者、力学不知疲」という開篇の句は、儒者の苦学とその努力を称えるとともに、その背後の悲哀を予感させる。以下、詩人は儒者の学問への執着とその身体的苦労を「讀書眼欲暗、秉筆手生胝」と描写し、その学問の道の辛さを浮かび上がらせる。
そして、「十上方一第、成名常苦遅」と続け、儒者が科举試験に合格し、名声を得ることは極めて難しく、時間もかかることを指摘する。さらに、「縦有宦達者、両鬢已成絲」と、たとえ官職に就くことができても、その時にはもう年をとってしまっていると嘆く。
以下、詩人は儒者の少壮の日々が貧賤の中で過ぎ去り、老いて病気にかかったときには富貴も無意味であると述べる。そして、これと対照的に、朱門の宅にいる乳臭未乾の貴族の子弟の姿を描く。彼らは学問も武芸もせず、ただ富貴に生き、声色狗馬に溺れている。
最後の部分では、「山苗与澗松、地勢随高卑」と、人間の運命もまた地勢のように高低があり、古来からこれは変わらないと嘆く。そして、「非君獨傷悲」と結ばれ、この悲哀は儒者に特有のものではなく、普遍的なものであると強調する。
総じて、《悲哉行》は、儒者の悲哀と社会の不条理を深く掘り下げた、情感豊かな作品である。詩人白居易は、儒者の苦学とその成果の得難さ、そして社会的地位と富貴との関係を鋭く洞察し、当時の社会現実と儒者の無奈を痛切に訴えている。この詩は、我々に深い共感と理解を呼び起こすに違いない。